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Campbell氏の報告

Harold "Buster" Campbell(艦内のパン屋さん)が戦争下に書いた日記より抜粋

1945年4月11日の午後、製パン担当のHarold "Buster" Campbell氏は日記を開いてこう書き出しました。

4月11日水曜日 午後2時

この日は私が体験した中で一番興奮した出来事として一生忘れることは出来ません。Patと私は写真の暗室にいました。午後2時4分、空襲警報が鳴って私たちは艦橋の08レベルまでかけあがってカメラを取り出しました。私はいつもK-20でPatはF-56のカメラを使用していました。水平線上に発砲されたのがわずかに見えたかと思うと、日本の特攻機は我々の区域に侵入してきたので、ミズーリの所属する任務群の全ての船が発砲し始めました。1機を撃墜し、私はその様子を数枚撮りました。そしてその間にもう1機の特攻機が船尾の方から姿を現しました。私はカメラでその特攻機を捉えシャッターを押し始めました。特攻機はたくさんの5インチ砲弾、40ミリ機銃弾、20ミリ機銃弾の発砲射撃を受けてもなお向かってきました。右舷艦尾の方からおよそ91メートルほど離れたあたりで一発の発砲を浴びましたがまだ向かってきました。私は写真撮影を続けました。彼は水面から7.5メートル上空で機体を傾けました。私は特攻機を見つけてからというもの約10枚位写真を撮り続けました。そして彼は最終的には右舷艦尾の方の側面に激突をし、炎上したのです。私は震え上がると同時に激突後はホッとしました。衝突寸前の一枚の画期的な写真を始め右舷の副砲付近に落ちるまで私は何枚も写真を撮りました。それらの写真は全部で18枚になります。可哀想なPatは私の後ろにいたので何も撮る事が出来ませんでした。信じられないことに消火活動の後に負傷者は1人も確認されませんでした。この時の様子をおさめた写真を公開しますが本当に奇跡です。たった5分ほどの出来事でしたが、驚くべき光景でした。