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第二次世界大戦

戦艦ミズーリの参戦
戦艦ミズーリの建造は1941年1月6日、ブルックリン海軍造船所で始まりました。1944年1月29日に進水し、同年6月11日に正式に就役しました。その後、艦と乗組員の性能を試す慣熟航海(シェイクダウン・クルーズ)を経て、1945年1月初旬にハワイ・パールハーバーから太平洋戦域へ出撃しました。2月16日、東京を攻撃する航空母艦部隊の対空防衛を担当、2月19日には硫黄島侵攻を支援しました。2月25日には東京空襲、3月1日には沖縄空襲に参加、3月の大半は対空支援に従事し、周囲の空母(当時の第58.4任務群)を脅かす日本軍航空機に対して砲撃を行いました。3月24日には戦艦ニュージャージー、戦艦ウィスコンシンとともに沖縄の沿岸砲撃を実施、4月1日からの沖縄上陸作戦に向けて砲撃を行いました。

神風特攻
4月11日午後2時43分、神風特攻機がミズーリの右舷側の主甲板より少し下の位置に衝突しました。この衝撃で、機体の一部が甲板に投げ出され、その他の大部分は海へと落下しました。機体の機関銃の一つが40mm機関砲に突き刺さった状態で発見されました。特攻隊員のご遺体は甲板上で発見され、ウィリアム・M・キャラハン艦長の指示により、翌日水葬が執り行われました。牧師ローランド・フォークが執り行い、ご遺体は海に葬られました。

4月16日にはさらなる特攻攻撃がありました。1機の特攻機が戦艦の艦尾に向かって飛行し、航跡内に墜落。破片が艦尾に飛散し、アルフォンセ・J・パレルモ乗員とD・J・ジュリアーノ乗員の2名が負傷しました。

3月から5月にかけて、ミズーリの乗員は16機の敵機に対して攻撃を行い、5機を撃墜(1機の撃墜が推定)、さらに6機の撃墜を援護しました。5月18日には、ミズーリは第3艦隊の旗艦となり、ウィリアム・“ブル”・ハルゼー提督の指揮下に入りました。

戦争の終結
7月、ミズーリは第34任務部隊の一員として空母部隊とともに本土攻撃に参加し、北海道・室蘭の製鉄所や本州の工業地帯を砲撃しました。

8月には戦争終結が近づいていました。8月9日、第38任務部隊の旗艦であるミズーリは、最後の特攻機の攻撃を撃退。8月15日、ハルゼー提督は日本の降伏を知らされました。そして8月23日、戦艦ミズーリが降伏文書調印式の舞台となることが正式に決定しました。