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  • 艦橋

    艦橋は、戦艦の操舵と指揮の中枢です。航海中にはここで艦長(CO)や、オフィサー オブ ザ デック(OOD)と呼ばれる当直の士官や、主に船の航路を管轄するコニング オフィサーなどが任務を行っていました。艦橋内には、操舵室、司令塔、海図室、気象室および艦長室があります。
    艦橋の中央部分には、厚さ約44cmの装甲で守られた司令塔があり、その中には舵を操作するための操舵輪があります。船が“総員配置”の状態になったときには、司令塔のドアはすべて閉じられ、内部の機器類や人員を保護していました。

    戦艦の中でも指揮、操船、攻撃、駆動に関する重要な部分を保護するために集中的な防御がなされた部分は“シタデル”と呼ばれ、司令塔(04から05レベル)、伝声管、砲塔、ボイラー、発電設備、エンジンなどが含まれます。この“シタデル”は、前は第一砲塔から後ろは第三砲塔まで、下にはサード デッキ(メイン デッキより2階下)からさらにその下にまで及んでいます。

    操船を行うのには、通常04レベルの艦橋が使われていましたが、さらに上の08レベルにも、操船を行うことが可能な艦橋が作られています。

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  • 艦長室(アット シー キャビン)

    O1レベルの降伏文書調印式のデッキに面した艦長室のほかに、艦橋内の海図室のすぐ後方右舷側にも艦長室があります。航海中の艦長室がこの場所にあることによって、緊急を要する事態になったときにも、艦長が艦橋で即座に指揮に当たることが可能でした。O1レベルの広い艦長室に比べると、ここは狭い空間の中に机とトイレとソファ ベッドが備え付けられただけの実用的な造りになっています。

    MOひとこと
    “マイティ(力強い)モー”という愛称で親しまれている戦艦ミズーリですが、1950年1月17日に、バージニア州ノーフォーク沖のチェサピーク湾付近で座礁したことがありました。船に大きな損傷はありませんでしたが、タグボートによって座礁から抜け出すまで15日間かかりました。この座礁によって、このころの短い間ミズーリには“マディ(泥だらけの)モー”というニックネームがつけられました。ミズーリの長い歴史の中には、このように不名誉な出来事もありました。


    写真スポット
    艦橋から右舷側及び左舷側の外に出た場所にある艦長用の椅子にご自由にお座りになって写真をお撮りください。

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  • 海図室

    海図室は、操舵輪のすぐ後方にあります。海図室では、ナビゲーターとクォーターマスター(操舵員)が海図を使って船の位置、方向および航路を入念に確認していました。

    MOひとこと
    “マイティ(力強い)モー”という愛称で親しまれている戦艦ミズーリですが、1950年1月17日に、バージニア州ノーフォーク沖のチェサピーク湾付近で座礁したことがありました。船に大きな損傷はありませんでしたが、タグボートによって座礁から抜け出すまで15日間かかりました。この座礁によって、このころの短い間ミズーリには“マディ(泥だらけの)モー”というニックネームがつけられました。ミズーリの長い歴史の中には、このように不名誉な出来事もありました。

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  • 気象室

    海図室のすぐ後方にある気象室では、気象観測官がナビゲーターと連携して常に気象と海の状況を監視していました。

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